peep pea poop

知人への生きています報告 あるいは将来的な墓標

一人暮らし4日目

誰とも話さないので自然と内省的になってゆく。記憶と思考のみに没入し、自分の行動や身体性に意識を向けない時間が長くなると、体のへりがだんだん溶解してゆく感覚になる。かたちを取り戻すためにとりとめもなく1日を振り返ってみる。

 

現在、つれあいが居なくなってから4日目の夜である。(ちなみに仕事に出ているだけだ。)

かの人は2週間留守にする予定である。一人暮らし4日目にして早くも環境への順応が進み、「もしかしたら私は一人で引っ越してきたのだったかもしれない」と思い始めた。そして、「闘いは孤高なもの」というモードに入ってきた。そういえばこういう自我を持っていたのだった、すっかり忘れ去っていた。世話を焼き焼かれる相手がいるときの自分は完全に別の機構で稼働しているなと思う。つれあいが私の人生から去ったら、犬を飼おう。ほんものの犬。

 

しかしまあ「闘う」対象は何のことはない、引越し後の片付けとか掃除とか家事とか確定申告だが、一応4月から大学に戻ろうとかこの公募だそうとか思っているところもあり、そちらの戦闘準備が整ってきたということだろうか。今年前半まったく予定がないので大きめの用事を作っておきたいところだ。

 

優先順位をつけるのが苦手なので1日に大きなタスク1つに取り掛かっておればいいことにしている。今日の大タスクは書類仕事にした。進捗が見られたのでいいことにする。あとは小タスク/家事、あるいはいつかやらねばならない雑務として部屋の片付けを進めるなどできた。調理もしたので活動的であったことにしておく。そういえばもう前途本棚の本の順序を整頓したのもまだ今日の出来事であったか。

 

しかし今日は非常に外出に気の重い日で結局外に出られるところまで行かなかった。1日一回は外に出るという目標があるので残念だ。牛乳がもうない。朝のミルクティが作れないがもう出かける気力はない。寒いし。

 

自分のブログのエントリを確認すると、左下にはスカイスキャナーの広告が出ていて、カザフスタンまでいくら、といった金額が表示されている。夏に中央アジアに行きたいのだった。ウズベク語とロシア語をやろうとか思いつつそこには全く手をつけられていない。今日外に出られなかったことだし、明日は日のあるうちに外に出て、図書館のカードを作りに行こう。そういえば世は3連休らしいので、イレギュラーが起こるだろうか。

 

うまく起きられなかった

ちゃんと起きようという決意文を書いて布団にはいったら、朝の4時まで寝られなかった。深夜のゴミ回収の音や新聞配達の音が聞こえる。深夜の物音は静まった空間に存外に長い時間とどまり響く。虫歯を削られたあとが痛い。治療に2時間もかかったから歯茎が痛いんだろうか、虫歯が取りきれていないなんてことはあるんだろうか。神経を取らない治療にしてはギリギリうまく行くか微妙なところらしいから。

 

入眠に失敗した時はたいがい身体のあちこちの凝りが知覚され、その度に体をモゾモゾと動かさざるを得ない。ムズムズ足症候群 restless legs syndrome というやつなのかもしれない。全身に出ることもあると聞く。ドーパミン調整ができていないのが原因かもしれないという記事を読んで然もありなんと思う。起き上がって全身ストレッチをする。ヨガの月のポーズというやつが大概一番効くのでそれをやる。

それでもダメなのでポータブルマッサージャーを持ち出す。どこにも完全フィットはしないがまあないよりはいい。筋肉の疼きに刺激を与えているとそのまま寝落ちできた。

 

8時に一度目が覚めたがそのままうつらうつらし、布団から出られたのは午後2時前である。つらい。明日はちゃんと起きようとか、そういう気負ったことは思ったり書かない方がいい。決意したところで行動が改善されることはないし無理だったときの絶望が深くなるだけだから。

微睡の中でずっと電車の音を聞いていた。予期しないノイズにストレスが溜まることが多いが、レールの上を電車が走っていく音は特に不快ではないので不思議だ。ある程度一定リズムだしモーター音の周波数ではないからだろうか。

 

布団から起き出したらまずヒーターのスイッチを押す。着込めば耐えられる寒さだが、何らかの温かみを発する自分以外の個体を欲していた。

それからバナナを手に取りパンを焼く。その間にミルクティを作って飲みながら、さらにコーヒーを淹れる。味噌汁を飲みたい気持ちもあったので、バナナをもぐもぐしながら片手鍋に湯を沸かす。

 

味噌汁をつくって椀によそったところでトイレにたった。その帰り、リビング横の本の部屋をのぞいた勢いで本棚の整理を始めてしまう。とりいそぎ段ボールから出した本をとりいそぎ本棚に詰めていたので、作家もカテゴリもすべてバラバラで気持ち悪かったのだ。自分の本とつれあいの本も一緒くたになっているので余計に訳がわからない。

 

そういえば引越しの時は本の段ボールが一番多くて、引越屋のバイトの若い男の子たちが苦しそうな表情で運んでいたことを思い出す。大変申し訳ない気持ちがした。

 

大きな本棚を持ってきてはいたが、足りないということがわかっていたので新居では引っ越してきてまずはじめに部屋の壁の一面に本棚を作った。そこに徐々に本を並べていたのだが、これにも入りきっていない。無理やりギチギチに詰めると、こころなしか棚板が撓んでいるような気もする。

今までどうしていたんだろうと思い出すと、私の部屋に2つあった3段カラーボックスは縦横に2列ずつ本をつめこまれ、さらに床に20冊ずつ程度の山が7、8個あった気がする。つれあいの部屋は簡素で本もあまりなかったように思い出されるが、こうしてみてみるとかなりの数の単行本があり、本棚を圧迫している。

 

結局、既存の本棚に奥行きがままあったので、そこに軽い読み物類の2列目を作ったことでなんとかなった。

 

私は自分の所有する本を数えたことがない。おそらくつれあいもそうなので、引っ越しの機会にやってみてもよかったのではと思う。とりあえず本棚1列に100冊くらいありそうだった。だいたい計算してみると800〜1000冊くらいあるのではないだろうか。こんなにあってどうするんだろうか。全部読んでから新しいものを買えばいいのに。

 

リビングのヒーターが、スイッチを入れてから3時間経ったとアラーム音を発したのに気づき、やっとリビングに戻ることができた。味噌汁とコーヒーを淹れるところまでやってそのままだったことを思い出す。もちろん双方冷え切っているし、トースターではきつね色のパンがかちかちになっている。くやしい。

 

外では5時を知らせるチャイムがなっている。このチャイムの曲の名称が急に気になったので調べると、ドヴォルザークの家路という曲らしい。クラシックだったのか、お前。

 

リビングで冷えた味噌汁とコーヒー、パンを温め直し、食べながらこれを書いている。

 

そういえば3月に予定されていた仕事がとんだので、なにも見据える予定がなくなった。特にやりたいことがない。強いて言えばだらだらしたい。まあ今の貯金でジリ貧であれば一年くらいなんとかなるが、それはそれで徐々に不安になりそうだ。

 

とりあえず当日と翌日くらいまでのみ考えてしばらく過ごしてみたいと思う。

 

 

少しあたたかい、晴れた日

今日の出来事を書く。

 

放っておくとわたしの生活習慣はぐにゃぐにゃになる。

自分のために型をつくってその中で生きるということを知らない。誰かに迷惑をかける可能性がないと、まともな時間に起きられない。10時間から12時間の睡眠をとったあと生理現象か退屈かどちらかで起きだすので、たいていは午後になる。

今日私は11時に起きた。まだ午前なので健闘である。午前中に起きられたのはヤマト運輸のおかげだ。つれあいが数日前に頼んでいたらしいどでかい荷物が届いた。

 

配達員はかなり重たいダンボールを玄関のたたきの上まであげてくれる。ダンボールが積み重なっている玄関先の通路を苦く思い、「引越したてで、散らかっていてすいません」と謝る。

配達員は、苦笑いのような息の吐き方をした。私の言葉は言い訳めいていただろうか。

 

何か食べるべきだという義務感が生じたのでバナナを手に取り、ミルクティをいれる。起床後まず紅茶をいれ牛乳を足して飲むということは、どういうわけかうまく毎日のルーティンになった。起きてすぐに咀嚼する元気がないのでこの一杯が大切だ。

 

携帯を見ると数日返信がなかった税理士氏から返事があったのでほっとした。支払調書と源泉徴収票はまだ全部届いていない。

 

気づくとバナナは2本なくなっており、ゴミ箱に皮が入っていた。今日は浮ついた日になりそうだ。

 

特に1日予定がなかったので家のことをすることにする。ものづくりをしたい気持ちが溜まりつつあったので、今日は縫い物の日になった。バスマットやら雑巾やらを適当につくる。そしてご多分にもれず、instagramの早送り動画でみるみるできあがる素晴らしい成果物と比較してため息をつく。嘆息まで含めたこの一環の動作も慣れたものだ。

縫い物などの小さな手芸は短い時間で少なくとも何かが出来上がるので精神衛生上良い。

 

午後からまた歯医者に行く。外に出ると晴れていた。ずっとぐずついた天気だったし家の片付けで忙しくしていることが多かったから、ここ1週間で初めてまっすぐ太陽光を見た気がする。とても気持ちがいい。視界の左端には満開の梅が見えた。

 

矯正を終えてから奥歯に虫歯ができていた。転居したのでかかりつけの歯医者がない。探すところから始まっていたのだった。最寄りの駅前には6、7軒の歯医者があってどれがいいのかまったくわからない。とりあえずレビューにクレームのないところに行ってみた。まあ、まともなところに見える。歯科衛生士がそんなに手袋を変えないのが少し気になるが、私が元々かかっていた矯正歯科ができすぎていたのだろうか。

 

結局はじめにかかった歯医者でそのまま治療を開始した。神経を抜かないようにできるかと聞くとその方向性で治療を頑張ってくれた。最初は神経を抜く方針だったからセカンドオピニオンで別の医院にも行ってみたが、最初から希望を伝えておけばよかった。なぜか要らぬ慮りで口をつむったままになってしまう時がある。

 

ちなみにセカンドオピニオンで行った先の歯医者では歯科衛生士が医師を呼ばずにしれっとレントゲンのスイッチを押していたので、ドン引きして通うのをやめた。田舎、あるいはこの地方あるあるだったらどうしよう。

 

外に出たついでに久しぶりに生鮮食品を買って鍋に放り込んで煮物をつくった。自分のために料理をしたことを誇りに思えた勢いでこのまま風呂に入って1日を終えよう。

 

今日はまともな時間に寝たい。明日も生きるのだから。

 

 

うまくいかないことへの嫌悪への対処を考える

ここいくつかのエントリを書いてきて思ったのだが、私は、うまくいかない、という感覚に脆弱すぎる。

そもそも人生などうまくいかないものなのだが、それを念頭に置いていても小さな生活の瑕疵に大げさにつまずいて痛がっている。

ほら今だって瑕疵という文字を変換するのに予想の5倍ほどかかり、ラップトップを殴りたくなっている。

もっと大きな有事に巻き込まれたら逆にいきいきする場合もあって、ただ退屈しているだけなんだろうか。なんなんだろう。

原因がわからないのでうまく対策が取れていないというところはある。

 

しかしまあなんとかしようと外部要因の活用を画策してはいる。

 

つれあいは私のことを強くて仕事ができる人間だとまなざしているところがあるので、彼の人の前ではそのような人格とふるまいを装うことがある程度できている気がする。

 

コロナ禍で暇しているときにMOOCで学んだことのひとつに「自己成就予言」という心理学用語があって、そこで出されていた例として、人は「あなたは〇〇だね」といわれるといかにも自分が〇〇であるかのように寄せていく習性がある、というものがあった。今パッと調べたら定義がなんだかずれている気がしたのでもしかしたら私の理解が違っているのかもしれないが。

 

まあなんにせよ、他人にまなざされるように振る舞ってしまうという癖は自分にも多分にあって、それはどうせ「お母さんに褒められたい」といった幼児の承認欲求にでもつながっているのだろう。

 

なんかそのあたりをうまく活かして自分がひとりである時の振る舞いも制御できないかと思っている。

不特定多数の人間に見える場所にアホみたいな文章を垂れ流しているのもその一環なのかもしれない。

いいように働けばいいのだけど。

 

今日はあまりうまくいかない日

 

表題のとおりなのだが、正確には「あまりなにもうまくいかない」という認識にとらわれている日な気がする。

 

起きたい時間に起きられず、ネット注文したかったものは売り切れており、欲しいものは届かず、洗濯物はなかなか乾かず、床にはものが散らばっており本棚は乱雑な状態だがそれをなんとかするやる気が起きない。気軽に歯の神経をとりそうな歯医者が気に食わずセカンドオピニオン先を探したが、そちらに電話が通じない。肩首の凝りが激しいまま、要領を得ないメールに平身低頭で返事をする。

 

そういう時にはTwitterに逃げがちだが、すでに今朝から1時間溶かして嫌な気分なのでブログを書きに来た。文章になったものを読むことで把握感が増すことも多い。

 

私は、「自分の母語が文語である」と思っている節がある。一番落ち着く思考/プロセスの言語と言おうか。他人との意思疎通に使う表現は言語であってもそれ以外であっても可塑的だと思う。

まあそれが真であれどうであれ、書きながらのほうが理性的になれる。もっというとツラい気持ちを感じるアンテナが鈍化して都合がいい。

 

一人なにも予定がない状況は好きなはずだが、これから半年のために新しい何やらに申し込もうとしているので、不確実性が上がっていて、新しい環境に相まってそれがストレスになっているのだと思う。しかもこの午後出かける予定があるし。私は出かけるのが苦手だ。出掛けてしまえば現場を楽しめるし行ってよかったと思うのだろうが、家を出るストレスが大きい。今その段階で我慢がならなくなっているのだろう。

加えて、新しいことを始めるのに疲れるのに、一度の外出に予定をいくつか入れてしまう悪癖のせいでもある。いったん出たら一回で色々と済ませてしまいたいのだ。体力が年齢につれて減退してきているというのに、予定調整担当である好奇心旺盛な自己が懲りてくれない。

 

ということで今からやることを書く。この先の自分が再考せず、今時点の自分の指示に従えばなんとかなるはず。

 

-まず外出用の身繕いをする

-出かける時間まで部屋を片付ける

-歯医者には予約なしで押しかける

 

よしと立ち上がったが、

メガネが見つからないし、コーヒーを淹れかけて忘れていてすっかり冷めていた。

 

借金も持病もこじらせた人間関係も治安問題も抱えていないのだからこういう小さいことにいちいち嘆息するのだろうか。そうだとしたら嘆息が私の趣味と言えるのかもしれない。趣味ならばせめて楽しめたらいいとは思うのだが。

 

休むのが下手

つれあいがこれから1ヶ月出払ったままなので一人暮らしである。誰ともとくに会話がないのと、生きています報告のためになるべく毎日ブログをしたためたい。

 

一人であるとずっと机の前にいる。めちゃくちゃに書類仕事が進む。

確定申告の作業が終わった。残りは税理士氏に投げるのでこれにて落着ということにする。経理に関しては、自分の仕事に仕入れとか棚卸しとかがないので比較的簡易なほうであると思うが、なにせ定期的に整理し続けるのが苦手なので大変乱雑なことになっていた。それに朝からずっと没頭していたので、大変疲れた。

確定申告はまあいいんだけど、なんかフラフラする。休みをうまく取れない。食事もパンをスープに浸してスクリーンを横目に見ながらすすったのみだった。

昔から、自宅で休むのが大変下手である。人の家に泊まるとか旅行にでるとか、手元に抱えているやること/やれることを削ぎ落とさないと、何かに追われているようになんらかの作業に手をつけ続ける。

 

じゃあそれが自分のスキルセットを効率的に向上させ、人生を上手に生きることができているかというと別にそうでもなくて、いろんな分野に盲目的に取り掛かっては放り出すからなかなか荒涼とした荒地のようなキャリアパスである。遠くに小さく見えるあれはオアシスなのかもしれないけれど確信が持てない。

 

何が言いたいかというとまあ優先順位をつけるだとか、1日の中でバランスよく物事を配分することが大変苦手である。

 

とりあえずこうやって書くことで思考を巡らせる機会にはなった気がする。とりあえず一旦外に出よう。そういえばボックスティッシュがもう無いんだった。

 

たくさんの余白を抱えて

引っ越して1週間が経った。つれあいは荷解きをたいがい終えた今日、元いた土地に諸々やり遂げに帰っていった。私は新天地で1ヶ月ほど一人暮らしだ。

 

部屋がまだまだ整っていないし慣れない土地ではあるので部分的には気が乗っていないが、正直な所けっこう気持ちが上がっている。もともと、一人でだらだら過ごすのが大好きな人間だからである。

 

いつもより響く電車の音、使われたままのカップ、空間の余白。

 

1ヶ月、することが特にない。今年の口に糊する仕事は、3月以降のみに発生しそうだ。今年に入ってすぐ2週間出張に行き、そこから2週間は引越し作業でずっと落ち着かなかったので、遅い寝正月のようなご褒美だろうか。

 

 

しかし確定申告をしないといけないな。

 

 

まあ、いまのところ楽しげにしているが1週間が過ぎた頃には、つまらない!となるんだろう。