旅記

生存報告あるいは将来的な墓標として

引っ越し準備と二週間の道草出張

適当に、場当たり的に、起こったことをその時に書き、あるときは後から繋ぎ、この文章は生成されている。

 

固有名詞を飛ばしがちなので、ふらりとこの記事に行き当たった方には面白くないかもしれない。

 

さて。

 

最近は、予定に背中を押されてはじめて重い身体をずるずると動かすことができ、物事を片付けてゆく。

 

例えば今日は、夕刻の飛行機で海外に出る予定があったので、そのパッキングをするべきなのだが目に入るのは帰国後すぐの引っ越し作業のためごった返した部屋で、引っ越しをスムーズにしたいという思いも頭によぎって箱詰めやら整理を朝からしていた。

 

わたしは売ることや移動のことを考えガジェットや印刷機の箱を取っておくたちで、それが溜まりに溜まっているのも発見してしまった。

もう手元にない携帯の箱なんかもあって、そういうのを潰してはゴミとリサイクルに仕分けする。

四年住むだけでこうなるのだから実家の有様は自然であるのだろう。そのような人間のために現代家屋にも蔵が欲しいところだ。後処理は次世代に任せて、100年後には一部のものに思わぬ価値もつくかもしれない。

 

そんなことをしていたら5時間が過ぎ気づけば家を出る1時間前になっていた。

 

パッキングは何の高揚感のないものを詰めて何の高揚感もなく終わり、荷物を下ろす。

カメラはオフィスの方にあったのだと思い出す。本気で急げばまだ取りに行けるが、体力的にどうか。

20代の自分なら行っていると思ったが今回は仕事もあるし、寒いし、録音機材もあることだし、iPhone14に頼ることにする。

これで少し気が楽になり、自転車を裏庭にしまいこむ。

 

十日戎の行列が車道を練り歩いており、バスが進まない。その時、南京錠を持ってくるのを忘れた事に気付いた。国内線ばかり乗り、スーツケースに鍵をかけることすらしなかったツケである。さすがに今回の旅程ではまずい。

 

とりあえず最寄りでおりて、100円ショップまでスーツケースを引っ張って歩く。錠前と、ノート、菓子を買い込んで急ぐ。

地下鉄京都駅に着いたのは4.20で、バスには間に合いそうにないと判断、特急はるかに向かう。しかし30番ホームもめちゃくちゃ遠くて、走る羽目になる。

 

はるか号に乗るために走り、乗り込んでからスマホを見たら、表面のガラスに傷がついていた。いつの間に…。いや、以前からあったんだろうか。


擦り傷に気づいてから、心なしか文字を打つと指先がピリピリするような気がする。あまり心地の良いものではない。

 

かなり余裕をもって家を出たはずなのにこの有様だ。しかし、間に合ったので良かった。車内で体力回復に努める。両方のポケットにひとつずつ持ってきていたエナジーゼリーを飲み干す。そういえば朝ごはんのあと、食べかけのお菓子の袋を空にした以外にものを食べていない。

 

まだ空港についてすらいないのにすでに帰りたくなってきている。

 

空港に着いてからはある程度スムーズにチェックインも済んだが、関空第二ターミナル国際線側にはコンビニがなくて、夕食もとれなさそうだ。つらい。おやつはあるが、もう甘味に食指は動かない。

 

搭乗が始まった。満員でありそうだ。ほとんどが帰国する韓国人のようで両手にお土産をかかえている。明日から日常に戻るのだろうか。

 

とりあえず飛行機が飛びそうなのでここまでにする。